イエスは彼に言われた。「帰って行きなさい。あなたの息子は直っています。」その人はイエスが言われたことばを信じて、帰途についた。(ヨハネの福音書4:50)
イエスが再びガリラヤのカナを訪れた時、カペナウムに病気の息子がいる王室の役人が、息子をいやしてくださるように願う。イエスの「あなたがたは、しるしと不思議を見ないかぎり、決して信じない」(4:48)という返答は、「預言者は自分の故郷では尊ばれない」(44)ということば同様に、人々の神に対しての心のかたくなさへの皮肉である。しかし役人はひるまず「どうか私の子どもが死なないうちに下って来てください」 と懇願する。するとイエスは、「帰って行きなさい。あなたの息子は直っています」と、思いがけないことばを発する。すると何とその役人は「イエスが言われたことばを信じて、帰途についた」(50)。 途中、彼のしもべたちに出会い、息子が直ったこと、それが、ちょうどイエスが「あなたの息子は直っている」と言われた時刻であったことを知り、彼自身と彼の家の者がみな信じた。
この役人は、イエスにカペナウムまで来てもらい、息子に触れていやしてもらおうう、と考えていたのだろうが、イエスは、その場にいながらにして30キロ離れたところにいるその息子をいやした。イエスは、直接見ないで症状を知り、触れもせずにいやし、見ずして回復したことを知ったのだ。神はまさに人智を超えたお方であり、人間的な考えをはるかにしのぐ方法でしるしを行われる。そして、神のことばは「見ないで信じるものは幸いです」(ヨハネ20:26)とあるように、信じるに値するもの。イエスを直接見ることも、そのしるしを見ることがなくても、私たちに与えられている「神のことば」=「聖書のことば」を信じていこう。