わたしのことばを聞いて、わたしを遣わした方を信じる者は、永遠のいのちを持ち、さばきに会うことがなく、死からいのちに移っているのです。 (ヨハネの福音書 5:24)
イエスが、立つことができない病人を癒やしたの安息日であったこと、また自分を父なる神と等しい存在だと明言することばに、ユダヤ人たちは怒り、イエスに殺意を抱くようになる。イエスは、「父がなさることは何でも、子も同様に行うのです。」と、自分が行っているわざは、父なる神と同じことを行っているに過ぎないのだと語る。そして、「これよりもさらに大きなわざを子に示される」と続くが、イエスが人類に示す最大のわざは十字架での贖いにより、それを信じる者に永遠のいのちを与えること。このわざに向かってイエスは地上の生涯を進んでいく。父なる神は子なる神であるイエスに、いのちを与える権威、そして、さばきの権威をお与えになった。神が与えるいのちとは、ただ生物学的な生命にとどまらず、人が神に造られた時の本来の生き方を取り戻し、神とともにいる喜びと平安の中を歩む行き方。人は罪を犯し、神の前にさばかれるものとなったが、イエスが弁護者となって仲介をしてくださることで、その刑を免れる。「わたしのことばを聞いて、わたしを遣わした方を信じる者は、永遠のいのちを持ち、さばきに会うことがなく、死からいのちに移っている」と、神は滅びからいのちへ映るように私たちを招いておられる。神の人への愛が形となって表わされたのが、イエス・キリスト。このイエスを信じて、永遠のいのちを今、頂いて、歩んでいこう。