だから、今、私をここに遣わしたのは、あなたがたではなく、実に、神なのです。(創世記45:8)
(使徒の働き7章より)
ステパノの説教は続き、ヨセフについて語り始める。 ヨセフは、父の偏愛を受けていたこと、家族が自分を伏し拝むという夢を見たことを話したことで、兄弟たちからねたみを買い、エジプトに奴隷として売り飛ばされてしまう。「しかし、神は彼とともにおられ」(9)とあるように、、ヨセフの生涯を一言で語るならば、「神がともにおられた」ということ。ヨセフはこのあと、エジプトの大臣にまで上り詰めていく。
やがてエジプトとカナンの全土にききんが起こり、蓄えの合ったエジプトに食料を求めてヨセフの兄弟がやってくる。ヨセフはかつての恨みを晴らすのではなく、兄弟たちに、「今、私をここに遣わしたのは、あなたがたではなく、実に、神なのです」(創世記45:8)と語り、和解する。このとき彼は、すべては神が導いたことだと悟っていた。そして父ヤコブと七十五人の全親族を呼び寄せ(14)神の民のいのちをつなぐ役目を果たしていく。
神がともにおられ、「神がすべてのことを働かせて益としてくださる」(ローマ8:23)。そして、私たちを神の民のいのちをつなぐ「福音の使者」としてもちいてくださる。