わたしの肉はまことの食物、わたしの血はまことの飲み物だからです。(ヨハネの福音書6:55)
五千人の給食の奇蹟により、イエス・キリストに対する群衆の思いはますますヒートアップしていく。そんな彼らに対し、イエスは自身を、天の父から遣わされたいのちのパンであると話す。さらに「わたしが与えようとするパンは、世のいのちのためのわたしの肉」(51)であるという。「どのようにしてその肉を私たちに与えて食べさせることができるのか」(52)というユダヤ人たちの疑念のことばへの解答こそ、著者ヨハネがこの福音書において一番書きあらわしたかったことであるかもしれない。キリストの十字架での死が人類の贖いのわざだと信じ受け取る者が、永遠のいのちを持つ。キリスト者は、絶えずこのみわざを覚え、神の愛が表わされた十字架のもとにとどまる。主は、「わたしを食べる者も、わたしによって生きる」(57)と、私たちが神にあるいのちに生きることを期待してくださる。
「わたしの肉はまことの食物、わたしの血はまことの飲み物だ」(55)とあるように、イエスはこの世のものでは満足させることのできない、霊的なパンであり、私たちの存在そのものに永遠のいのちをもたらす。人智をはるかに超えた神の愛が、この救いのわざをなしてくださった。神を仰ぎ見ながら、歩んでいこう。