イエスは彼らに答えられた。「わたしがあなたがた十二人を選んだのではありませんか。
(ヨハネの福音書 6:70)
「わたしは天から下ってきたパンであり、わたしを食べる者は生きる」と語るイエスに対し、「これはひどいことばだ」と反応したのは、それまで熱狂的にイエスを追いかけてきた弟子たちであった。彼らはイエスのことばにつまずいた。
「『家を建てる者たちが捨てた石。それが礎の石となった。』のであって、『つまづきの石、妨げの岩』」(Ⅰペテロ2:7-8)とペテロが記しているように、キリストは、多くの人から拒まれ軽んじられるが、彼こそが、人類が救われ、神の国が立てあげられていくための、唯一の土台となる。イエス自身も「わたしにつまずかない者は幸いです」(ルカ7:23)と語っている。
イエスはさらに、「いのちを与えるのは御霊です。肉は何の益ももたらしません」と、神に造られた人間にほんとうのいのちをもたらすものは、この世のものではなく、御霊であると説く。ここでいう「いのち」は肉体的な生命でなく、神との関係においてのいのち。イエスの贖いを信じたものは、御霊により永遠にいきることができる。
さらにイエスは、「あなたがたのうちには信じない者がいます」(64 )と弟子たちの中から自分を裏切るものが出ることを語る。シモンの、「主よ。私たちがだれのところに行きましょう」という言葉も虚しく、彼はイエスを見捨てて逃げ出した挙句、イエスの弟子であることを否定しまう。「わたしがあなたがた十二人を選んだのではありませんか」というイエスの慰めと慈しみに満ちたが響く。
神は、私たちの弱さや罪深さを十分知った上で私たちを愛し、選んでくださった。だから私たちは、人々が捨てた石であるキリストを礎石として、ここに神の国を築き上げていく。