主は私を広い所に連れ出し、私を助け出された。主が私を喜びとされたから。(詩篇18:19)
ペリシテ軍との戦いや、サウル王にいのちを狙われていた状況の中で、ダビデは神と向き合い、その信仰は培われ磨かれていく中で、この詩が生まれた。ダビデは、神の助けを「天を押し曲げて降りて来られた」(9)と表現し、人間の次元とはかけ離れた天からの支えがあることを語る。そして、「主はやみを隠れ家とし」と、私たちが問題に取り囲まれても、実は神様はその中に神はいらっしゃることを語る。人生の暗闇は、絶望するためにあるのではなく、私たちが神に出会うためにある、そこで神に叫び求め神のみ手を待つことができる。「主は私の強い敵と、私を憎む者とから私を救い出された。彼らは私より強かったから」(17)ということばは、パウロの「私が弱いときにこそ、私は強いからです(Ⅱコリント12:10)と、自らの無力を認め、神の力が覆ってくださることを信じて期待していく姿と重なる。
主が御手を延べてくださる利用を、「主が私を喜びとされたから」(19)と述べている。「主は高らかに歌ってあなたのことを喜ばれる」(ゼパニヤ3:17)とあるように、神は私たちひとりひとりの存在を喜んでくださっているからこそ、私たちが問題に直面した時に、私たちの叫びを聴き、どんな問題よりも強い力を持って私たちを支えてくださる。私たちひとりひとり、神に愛される者として造られたことを感謝し、歩んでいこう。