あなたがくださった栄光を、わたしは彼らに与えました。わたしたちが一つであるように、彼らも一つになるためです。(ヨハネの福音書 17章22節)
ノアの息子のひとり、ハムの子孫のニムロデはシヌアルの地においてバベルという王国を築く(創世記10:9,10)。「彼らは石の代わりにれんがを用い、粘土の代わりに瀝青を用いた。」(11:3)とあるように、当時の最先端の建築技術を用い、町を建てあげていく。さらには、「頂が天に届く塔を建て、名をあげよう」(4)と、権力や技術力で自ら神の座に着こうとし、まことの神に反逆し傲慢な思いを膨らませていく。しかし神は、どこまでも悪の道に走る姿をご覧になり、彼らの言葉を通じなくし、工事は中断し、彼らは散らされていく(6-8)。
権力や技術力を掴んだときにそれをどう用いるかで、その人間の本質が明らかにされる。「あなたがたの間で偉くなりたいと思う者は、みなに仕える者になりなさい。(マタイ(20:26)」とあるように、人々に仕える者こそが、神の目から見て一番リーダーにふさわしい者といえる。
神に対する冒涜・傲慢の罪によって繋がり、一つになっていた民は、散らされたが、私たちは、キリストの愛によって繋がり、成長していく。
「(きりすとの)からだ全体は、一つ一つの部分がその力量にふさわしく働く力により、また備えられたあらゆる結び目によって、しっかりと組み合わされ結び合わされ、成長して、愛のうちに建てられる」(エペソ4:16)。
バベルの塔ではなく、私たちは一つとなってキリストのからだを建て上げていこう。