すべての懲らしめは、そのときは喜ばしいものではなく、かえって悲しく思われるものですが、後になると、これによって訓練された人々に平安な義の実を結ばせます。
(ヘブル12:11)
神のことばに従い、意気揚々とカナンの地まで旅を続けてきたアブラムだが、その地がひどい飢饉に見舞われると、エジプトに移っていく。
妻サライの美しさのゆえ、夫である自分自身はエジプト人に殺されてしまうという恐怖に駆られたアブラムは、妻に妹だと名乗るように依頼する。そして、サライを見初めたエジプトのパロが、サライを妻として宮廷に召し入れることを許してしまう。サライの兄だということでパロはアブラムに多くの家畜や奴隷を与え、アブラムは裕福になっていく。
しかし、その胸中はいかばかりであったろうか。パロは、家を襲う災の原因を調べていくうちに、サライがアブラムの妻であることを知り、彼らをエジプトから追い出してしまう。
アブラムは、自分の保身だけを優先させ、神の声に従うこと、妻を守ることをを忘れてしまった。このことは彼にとっての挫折となり、神からの叱責ともなった。しかし、このような惨めな経験を通して、彼は神に練られ、成長していき、やがては「信仰の父」とまで呼ばれるようになる。
私たちが大きな挫折を味わっても、成長のために、立ち上がることを、神は期待しておられる。