わたしがこれらのことをあなたがたに話したのは、あなたがたがわたしにあって平安を持つためです。あなたがたは、世にあっては患難があります。しかし、勇敢でありなさい。わたしはすでに世に勝ったのです。」(ヨハネ16:33)
イエスは十字架に掛かる前に弟子たちに遺言ともいうべき話を語る。人間に御霊という賜物を与えるために、そのいのちをもって代価を支払い、私たちの喜びが満ちるために、その産みの苦しみとなったキリスト・イエス。
そしてその遺言は、私たちが平安を持つための話であるとイエスは語る。「平安」は原語では安らかで平穏無事な状態であるというよりも、和解し、折り合う、合わさる、といった積極的な動的な意味合いを持つ。キリストは、憎しみのあるところに愛を生じさせ、隔ての壁を打ち壊し一つにする力を持つ。
さらに「わたしはすでに世に勝った」と、勝利の宣言をする。罪の縄目、死の力をも打ち破り、よみがえってくださった神の独り子イエス。その名を信じた者にも、同じ永遠の命が与えられることが聖書に約束されている。私たちは世にあっては艱難があるが、勇敢に進んでいける。イエスの御霊が今、ともにいてくださるからだ。