人その一生は草のよう。人は咲く。野の花のように。(詩篇103:15)
身近な自然に目を留めたときに、私たちは心が慰められ、癒やされ、励まされたりする。自由に飛び回る鳥も、道端の小さな野の花も、神によって実に見事に装い美しさを誇っている。「空の鳥を見なさい。種蒔きもせず、刈り入れもせず、倉に納めることもしません。けれども、あなたがたの天の父がこれを養っていてくださる」(マタイ6:26)「野の草さえ、神はこれほどに装ってくださる」(マタイ6:30)というのは、神が人間をもっとあわれまないだろうかというイエス様の教えだ。
「人は咲く」と詩人は歌う。人に認められようと、一花咲かせてやろうと人は努力するが、その前に神は私たち一人ひとりを咲いている花としてご覧になっている。「わたしはあなたの名を呼んだ」(イザヤ43:1)とあるように、「主は私たちの成り立ちを知り」(詩篇130:14)、認め、愛して下さるお方である。
主が私たちに目を留め、愛でて、喜んでくださることは何という幸いであろうか。主のいのちを輝かせて生きる者でありたい。