愛は多くの罪をおおうからです。(Ⅰペテロ 4: 8)
天地創造のはじめ、最初の人アダムの助け手としてアダムの体の一部から造られたパートナーをを「女と名づけ」(創世記 2:23)た。その後、彼はその「妻の名をエバと呼んだ。彼女が、生きるものすべての母だからであった」(創世記 3:20)。
「エバ」とは、アダムが「いのち」「生きるもの」を意味する。土くれという意味の「アダム」が、罪のゆえに永遠に生きることがなくなりはちりに帰る存在となったが、すべての人類のいのちの母となる妻を称えての呼び名であろう。
やがて神は、罪の恥を木の葉で覆っていた「アダムとその妻のために、皮の衣を作って彼らに着せられた。」(創世記3:21)。ここには神の人に対する深い愛と憐れみが表されている。皮の衣は、動物のいのちが犠牲となっている。これは、やがて人の罪をおおう子羊キリストの贖いのみわざ予型ともいえる。罪人をどこまでも愛し、ご自分のひとり子をさえ犠牲にしていのちを与えようとする神の愛がキリストによって表された。だからパウロは言う。「主イエス・キリストを着なさい。」(ローマ 13:14)。キリストを着ることによって、私たちは本当のいのちの道を歩むことができる。
母の日、私たちは、自分を生んでくれた母親に感謝するとともに、はじめにいのちを与えてくださった神、そして、いのちを失った人間をご自分のいのちを捨てて生きるものとしてくださった「本当に生きるものすべての母」となってくださったキリストの愛に感謝する時としたい。