私たちには、御父の前でとりなしてくださる方、義なるイエス・キリストがおられます。(ヨハネの手紙第一 2:1)
詩篇20篇では、人のために神さまの祝福を祈る「とりなしの祈り」がささげられている。
神は、私たち人間が苦難の時に上げる神への叫びに答えてくださるお方(1)であり、「ヤコブの神」とあるように、ずっと昔から人間に関わり、寄り添ってくださるお方(2)。そして、「聖所」「シオン」という神の顕現の場所は、ご自身を人間にあらわしてくださるお方(3)であることを示している。今は、キリストを信じる私たち自身が「御霊によって神の御住まい」(エペソ人2:22)とされているので、私たちはこの神にいつでもどこでも祈ることができる。
そして、キリストがいつも私たちのためにとりなしの祈りをささげておられるように(ローマ8:34)、私たちも人のために祝福を祈る者として歩んでいくことができる。キリストに倣って、私たちの存在を「神に喜ばれる、聖なる生きたささげ物」(ローマ12:1)として神にささげて行きたい。