イエスは答えられた。「この人が罪を犯したのでもなく、両親でもありません。この人に神のわざが現れるためです。」(ヨハネ9:3)
(ヨハネの福音書9章より)
イエス様は「通りすがりに」(1)生まれつきの盲人をご覧になり、泥をその男の目にに塗り「シロアムの池で洗いなさい」(7)と言いつけると、彼はその言葉通りに行うと目が見えるようになった。
彼の障害の理由を「だれが罪を犯したからですか」と尋ねた弟子に対して、イエス様は「この人に神のわざが現れるため」と説く。目が見えるようになって歩いている彼を見て、人々は本当にあの者なのかと疑うが、彼は、「私がその人です」(10)とイエス様が自分にしてくださったことをそのまま話す。
私たち人間の側からは神に近づけなくても、神のほうから近づいてくださり、私たちは神に出会うことができる。偶然のように見て、それは神様の愛とあわれみのゆえに必然的な出来事。そして、神が私たち一人ひとりにみわざをなしてくださる。そのありのままを語り、この姿を見せていくことが神を証しすることである。私たちを神様の栄光を表す器としてくださるお方に感謝。