わたしは良い牧者です。良い牧者は羊たちのためにいのちを捨てます。
(ヨハネ10:11)
キリストは、自らを「良い牧者」に例えて話す。ここでの「良い」というのは、この世で優れていることとは全く異なる、霊的な次元での崇高さを含めた表現であろう。キリストは私たち人間をご自分のものとし、ご自分のいのちをも惜しまずに犠牲にして私たちのいのちを救ってくださった。神はほんとうの愛のお方。
また、「囲いに属さない羊」(16)、すなわち神の前にへりくだらずに自分勝手に歩んでいる者、あるいはいろいろな事情で神の交わりに加われない者をも導く使命がキリストにあり、また主を信じる私たちにも期待されていること。
「わたしには、それ(いのち)を捨てる権威があり、再び得る権威があります」(18)というのは、イエス様が十字架に死なれてから三日目によみがえったことばかりだけでなく、キリストのからだである教会すなわちクリスチャン一人ひとりがいのちを豊かに持つことであるとも言える。
私たちがいのちに溢れる主のからだを建て上げるために、キリストはいのちを捨てたのだ。