パンは一つですから、私たちは大勢いても、一つのからだです。皆がともに一つのパンを食べるのですから。(コリント人への手紙第一 10章 17節)
パウロは、コリント教会が「ふさわしくない仕方でパンを食べ」(Ⅰコリント11:27)ていることを避難する。教会での食事会のときに他の人を顧みずに我先にと食べ始め、空腹な人がいる一方で満腹になり酔っ払っている者もいるのだという。イエス様の最後の晩餐での「これはあなたがたのための、わたしのからだです」(24)、「この杯は、わたしの血による新しい契約です」(25)という言葉を引き合いに出して、教会はキリストの一つのからだであることを思い起こさせる。
当時の教会が今日のように食事会と聖餐式を厳密に分けて行っていたかどうかは定かではないが、食事にかかわらずにすべてのことにおいて、私たちはキリストのからだにふさわしいありかたであることが望まれている。
私たち一人ひとりのうちにキリストを豊かに住まわせることができるように、祈ろう。