全地よ主に向かって喜びの声をあげよ。(詩篇 100:1)
(使徒の働き 13章より)
ピシディアのアンティオキアでのパウロの説教を聴いた人々は心打たれ、「次の安息日には、ほぼ町中の人々が、主のことばを聞くために集まって来た」(44)。それとは対象的なのが、ユダヤ人の指導者たち。「この群衆を見たユダヤ人たちはねたみに燃え、パウロが語ることに反対し、口汚くののしった(45)」。毎週会堂で神のことばを解き明かしていたはずのユダヤ人が、何と、神のことばに満たされている群衆を見て、怒り、パウロとバルナバをこの地方から追い出してしまう。ところが「弟子たちは喜びと聖霊に満たされ」(52)異邦人たちに向けて宣教を展開してい。。みことばは聞く者の心に潤いをもたらし、語る者を喜びで満たす。福音が前進していく力は誰にもとめられない。宣教は、全能であり全権を握っておられる主の霊が進めておられるのだから。