見よ、わたしは戸の外に立ってたたいている。だれでも、わたしの声を聞いて戸を開けるなら、わたしはその人のところに入って彼とともに食事をし、彼もわたしとともに食事をする。(ヨハネの黙示録
3章 20節)
(創世記18章より)
旅人たちがアブラハムの幕屋を通り過ぎようとなさったとき、アブラハムは彼らを迎え入れ、もてなした。
人間は、きよくなることや修行を積むことで神に近づこうとするが、まことの神は、神のほうから私たち人間に近づき、訪れてくださるお方。そして、私たちが心の扉を開けて主をお迎えすれば、私たちは主と、共に食事をし語らうように親しく交わることができる。
アブラハムを訪れた旅人のうち一人は主であったが、主はサラに男の子が生まれることを約束する。人間の常識・科学では不可能なことにサラは笑うが、「主にとって不可能なことがあるだろうか」(14)という主のことばどおりに、そのことばは実現する。
礼拝は主を迎え、主をもてなす場といえる。私たちの全存在をささげて主をもてなし、主に喜んでいただこう。そして、主の希望のことばをしっかり握って歩んでいこう。