彼らは来て生まれてくる民に主の義を告げ知らせます。
主が義を行われたからです。(詩篇 22:31)
ダビデはこの詩篇の中で、苦悶する思いを神にぶつけている。一国の王としての、また個人的な神への切なる訴えは、やがて賛美へと変わっていく。まことの王権・主権が神にあることを再確認し、彼は神の義に心を留める。主の義は、神が絶対的に正しいお方であるだけでなく、罪を犯した人間をも義としていくもの。人間を愛するがゆえの、神の真実がそこにはあった。そしてそのために、神のひとり子のいのちという尊い犠牲が払われた。神からの義をまとうことがゆるされていることは何と感謝なことであろうか。全権を握っておられる神が味方となってくださることは、何と心強いことであろうか。