夕暮れには涙が宿っても朝明けには喜びの叫びがある。
(詩篇 30篇 5節)
(マタイの福音書 2章より)
東方の博士たちからユダヤのメシア誕生を知らされたヘロデ王は、自分の王位が奪われるのではないかと危惧し、その子を殺害するべく、ベツレヘムの2歳以下の男の子を皆殺しにする命令を下す。その惨劇をマタイは、エレミヤ書の「ラマで声が聞こえる。むせび泣きと嘆きが。ラケルが泣いている。その子らのゆえに。慰めを拒んでいる。子らがもういないからだ。」ということばを引用する。難産で子供を産んだ末に命を落とし、ラマに葬られたラケルの嘆きと重ね合わせる。イエス様は、父親ヨセフに天使のお告げがあり、この時は難を逃れたが、それは全人類の救いのための犠牲となるためであり、さらに地上の生涯を歩むこととなる。
人を妬み、憎み、殺し、神をも抹殺してしまうのが人間の罪の姿。人を滅びの闇へと向かわせる罪から救うために、キリストは来られた。
「あなたは私のために嘆きを踊りに変えてくださいました」(詩篇 30篇 11節)とあるように、神は、私たちの悲しみ・嘆きの場所を喜びと踊りの場所に変えてくださる。福音にはどのような状態にある者も圧倒的な勝利者とさせる力があるのだ。この神の臨在のもとに新しい一年も歩んでいきたい。