わたしが喜びとするのは真実の愛。いけにえではない。
全焼のささげ物よりむしろ、神を知ることである。
(ホセア書 6章 6節)
アブラハムが妻サラを妹だと偽ったことで、サラを召し入れたゲラルの王アビメレクは自らと属するすべての者に災いが及ぶことを神に告げられ、アブラハムに事の次第を問いただす。しかしアブラハムはこの土地の人民が悪い、サラは異母兄弟なので妹というのは嘘ではない、と自分の否を認めようとはしない。さらには「妻は私に真実の愛を尽くしている」と話をすり替えていく。彼は「真実の愛」という言葉を殺し文句として使い、妻を従わせていたのかもしれない。
神のみが、真実の愛をもって人を愛したもう。それは、神に背を向け、神に敵対する人類のためにその身を犠牲にしたキリストに表されている。
情けない失敗を繰り返すアブラハムを、神は愛し、霊的に成長するように見守っていてくださるように、主は、弱い私たちをなお真実の愛で愛してくださる。
主が喜びとするのは、真実の愛。私たちはキリストを信じるとき、義の衣としてキリストをまとい、真実の愛をキリストの霊を頂くことができる。主の愛に生きることを学んでいこう。