私たちにキリストの苦難があふれているように、キリストによって私たちの慰めもあふれているからです。(コリント人への手紙第二 1章 5節)
(コリント人への手紙第二 1章より)
パウロはコリントの教会に宛てた手紙の中で、まず彼らを励ましている。それはどんなに激しい迫害の中にあっても、神によって守られたという自らの体験に基づいたものだった。何度か死に直面していたこともあったパウロが、
「神は、どのような苦しみのときにも、私たちを慰めてくださいます」(4)とそこには神の慰めがあったことを語っている。
キリストは、私たち人間の苦しみをすべて味わうためにこの世に降られた。だからこそ、私たちの苦しみをすべて知っておられ、私たちに同情し、慰めることができるお方なのである。そして「キリストは自ら十字架の上で、私たちの罪をその身に負われた。それは、私たちが罪を離れ、義のために生きるため。その打ち傷のゆえに、あなたがたは癒やされた」(ペテロの手紙第一2章24節)とあるように、キリストの十字架のあがないのゆえに、私たちにまことの癒やしが与えられているのである。
そして、このキリストのあがないを知った者こそが、本当の慰めと癒やしを人に届けることができるのである。