あなたは私にいのちの道を知らせてくださいます。満ち足りた喜びがあなたの御前にあり楽しみがあなたの右にとこしえにあります。
(詩篇 16篇 11節)
(創世記25章より)
アブラハムは自分の人生に幕を下ろす時が近づいていることを知り、終活をしている。「自分の全財産をイサクに与えた」(5)。というのは、個人的に誰よりもイサクを愛していたということ以上に、アブラハムへの祝福はイサクが引き継ぐという神様のことばに従ったゆえだと言える。そして「側女たちの子には贈り物を与え」「彼らを東の方、東方の国に行かせ」(6)たのは、財産相続を巡る争いが起こらないための予防策だと考えられる。
「アブラハムは幸せな晩年を過ごし」「満ち足り、息絶えて死んだ」(8)と聖書は記している。彼は決して一点のシミもない信仰生活を送ったわけではない。不信仰のゆえにいろいろな失敗もした。しかし彼はいつも神と共に歩んだのである。自分の弱さに寄り添ってくださる神に任せて歩んだ、その信仰のゆえに、彼は義と認められ、主とともに永遠に生きる者となったのである。
私たちもアブラハムのように「幸せであり」「満ち足りた」生涯を送るようにと、今、主は招いてくださっている。