幸いなことよその背きを赦され罪をおおわれた人は。(詩篇 32篇 1節)
(創世記26章6-11節より)
カナンの地が飢饉に襲われた時、イサクは家族を連れてゲラルに滞在していた。イサクは美しい妻を欲しがるその土地の男に自分は殺されてしまうのではないかと恐れ、妻を自分の妹だと偽るが、二人の様子を見た王に兄妹だと見破られてしまう。
アブラハムもかつて似たような状況のなかで自分の保身のために妻を妹だと偽り、妻を他の男に渡してしまうということが2度もあった。人間には同じ過ちを繰り返す弱さがあり、親から悪い部分も受け継いでしまうことがある。
アブラハムも、ダビデも、ペテロも神の前に失敗を繰り返したが、信仰のゆえに義と認められた者たちである。キリストの贖いのみわざは、どんな人のいかなる罪でもおおう。この神のほんとうの愛と赦しがあるからこそ、私たちは神の御前に喜び楽しみつつ生きていける。神に感謝しつつ歩もう。