エマオへの道で・1 〜ともに歩まれる神〜
話し合ったり論じ合ったりしているところに、イエスご自身が近づいて来て、彼らとともに歩き始められた。
(ルカの福音書24章15節)
(ルカの福音書 24章13-20節より)
イエス様が復活した日、暗い顔をしてエマオという村に向かっている二人の弟子がいた。イエス様が十字架にかかり死なれたことで、絶望感、喪失感で途方に暮にれていたのである。そこに近づいて来た一人の人が、何の話をしているのかと尋ねる。二人のうちの一人が、エルサレムで起こったことを知らないなんて、と驚くと何があったのか話してくださいと促すと、彼らは心を開いて心の内を話し始めた。
霊の目がふさがれていた彼らにはそれがイエス様だとはわからなかったが、そんな彼らにイエス様は近づき、話を聞き、一緒に歩かれた。
キリストはどんなときにも私たちのところに来られ、私たちの心の内を受け止められ、そして神に見捨てられているように思うときにも必ずともに歩んでくだり、そして苦しいときには背負ってくださる神である。私たちはこのキリストとともに御国まで進んで行こう。