私たちは 、自分の見たこと 、また聞いたことを 、話さないわけにはいきません 。
(使徒の働き4:20)
イエスを述べ伝え、不思議なしるしを行ったことによって捕らえられたペテロとヨハネ。民の指導者、長老、学者たち、大祭司の一族たちは二人を取り囲み詰問するが、「彼らはペテロとヨハネとの大胆さ」(13)に驚いた。「力と愛と慎みとの霊」(第二テモテ1:7)である「聖霊に満たされて」(使徒4:8)いたことに加え、「からだを殺しても、たましいを殺せない人たちなどを恐れてはなりません」(マタイ10:28)とあるように、恐れるべきものは神おひとりであるという確信があったのであろう。そしてもう一つ、彼らが驚いたのは、「ふたりが無学な 、普通の人である」ということだった。聖書を知識として知っていることは、神を知っていることとは違う。二人はイエスと寝食を共にし、イエスと交わる中で、神を知っていったのである。イエスの名によって語ることを禁じられるが、 「神に聞き従うより 、あなたがたに聞き従うほうが 、神の前に正しいかどうか 、判断してください 」「私たちは……話さないわけにはいきません 」 (19)ときっぱりと答える。福音というのは、人が人に伝えていくという性質を持っている。神様だけを恐れ、いつも大胆に、このキリストを話していく、そこに、福音の宣教、信仰の継承が行われていく。