目を上げて畑を見なさい。色づいて、刈り入れるばかりになっています。 (ヨハネ4:35)
ヨハネの福音書4章の「サマリヤの女性」の話(1-42)の中にイエスと弟子たちとのやりとりが織り込まれている。サマリヤの女性にイエスが語りかけたとき、「弟子たちは食物を買いに町へ出かけていた」(8)。永遠のいのちへの水について話し、自身がキリストであることを彼女に明かされたその時、弟子たちが戻ってきたが、二人のやりとりに関心を示さない。女性が町へ出ていき「来て、見てください」とイエスを紹介して歩いたその時も、弟子たちは気に留めずイエスに食事を勧める。霊的なものよりこの世のものにしか関心を示そうとしていない弟子たちの姿がここに描かれている。イエスは「わたしには、あなたがたの知らない食物があります」(32)と、弟子たちの心を永遠のものに向けようとする。なおも「だれか食べる物を持って来たのだろうか」 と、意を解さない弟子たちに、イエスは、忍耐強く語り続ける。「わたしを遣わした方のみこころを行い、そのみわざを成し遂げることが、わたしの食物」(34)だと。神のみこころは、人がキリストを信じて、永遠のいのちを得ること。「畑は色づいている」と、たましいの借り入れの時は来ていることを示す。「自分で労苦しなかったものを刈り取らせるために、あなたがたを遣わしました」(38)と、人の救いのためのすべての労苦は神がしてくださったこと。その労苦の実を集めるため、弟子たちをそのために遣わしたと語る神は、私たちをも用いてくださる。そして、「蒔く者と刈る者がともに喜ぶため」(36)と、私たちをたましいの収穫をともに喜ぶ祝福にあずからせてくださるのだ。