他方、散らされた人たちは、みことばを宣べながら、巡り歩いた。(使徒8:4)
サウロはステパノを殺すことに賛成し、その責任のもと、ステパノを捕らえた者たちは彼を石打ちにする。サウロは、邪教を排除し、純粋なユダヤ教を保つという使命に燃え活動していた。そして、民衆を巻き込んだ教会への迫害が始まり、イエスの弟子たちの多くは、ユダヤとサマリヤの諸地方に散らされていく。
しかし、「散らされた人たちは、みことばを宣べながら、巡り歩いた」とある。彼らは意気消沈して隠れるように暮らしたのではなく、この機会をそれぞれの地で神のことばを伝えるチャンスとして用いた。まさに、「ユダヤとサマリヤの全土、および地の果てまで私の証人となる」(1:8)というイエスのことば通りになったのである。
私たちも不本意ながら別の場所に移ることを余儀なくされることがあるが、イエスが共にそこに出かけてくださる、と捉えることができる。そして、その先々でイエスを証しすることができるのである。
ステパノと同じ執事であったピリポは、当時ユダヤ人が敬遠していた「サマリヤの町に下って行き、人々にキリストを宣べ伝えた」(5)。「 それでその町に大きな喜びが起こった」(8)のである。
教会が迫害されることによって、みことばが思いもよらない所にも広がっていき、大きな喜びをもたらす結果となっていった。ピンチがチャンスに、マイナスがプラスに変わっていくのが、福音の力。この福音を携えていることができる恵みに感謝しよう。