あなたがたはキリストのからだであって、ひとりひとりは各器官なのです。
(コリント人への手紙 第一 12章27節)
(使途の働き9: 10-19より)
アナニヤは、「通りよき管」として用いられた人物であった。教会の迫害に燃えるサウロがダマスコに向かう途中、天からのイエスの声を聞いた時に、目が見えなくなってしまう。アナニヤは、そのサウロを訪ねて手を置いて祈るようにと幻で主から告げられる。悪評高いサウロのことを耳にしていたが、サウロは「イスラエルの子孫の前に運ぶ、わたしの選びの器」(15)であると主から告げられ、アナニヤはそのことば通りに行う。するとサウロ目は再び見えるようになり、バプテスマを受ける。この後、サウロはキリスト教史上最大の伝道者パウロとして、歩み出していくことになる。
アナニヤのこの働きは、シャボン玉のストローに例えることができるだろうか。石鹸水はストローを通ってシャボン玉になり、飛んでいく。迫害者サウロはアナニヤの祈りによって伝道者パウロと生まれ変わり、福音が世界に広がっていく足がかりとなった。
またシャボン玉を飛ばすのに必要なものは息であるように、アナニヤは神の息、聖霊の働きを通す管の役割を果たした。
パウロのように各地を飛び回って宣教する者、アナニヤのように動かずに管としての役割を果たしていく者もいる。それぞれ、神のわざにとってはなくてならない働きであり、クリスチャン一人ひとりの違う働きが、ひとつのキリストのからだを形作っていく。
サウロのように、アナニヤのように、私たちも神の奉仕へと招かれている。