神がきよめた物を、きよくないと言ってはならない。(使徒10:15)
ある日の昼間、ペテロは夢心地になり幻を見る。天が開けて、すべての種類の動物が入った敷布が吊るされ、降りてくる。天からの「さあ、ほふって食べなさい」(使徒10:13)という声に、その動物の中に「きよくない」「汚れている」ものがいるという理由で、ペテロは「主よ。それはできません」(14)と答える。すると「神がきよめた物を、きよくないと言ってはならない」(15)という声があり、入れ物は天に引き上げられる。ペテロはこの幻を続けて3回見ることとなる。
神が天地創造のみわざ完成された時、それを見て「非常に良かった」(創世記1:31)と満足された。人が神に背いたことにによって人は罪人となり、死ぬものとなったが、神のひとり子キリストの十字架のあがないのみわざにより、キリストを信じる者はすべて、神の前にきよいものとされる。
罪に苦しみあえぐ人類を見て、「だれを遣わそう」という父なる神のことばに、キリストは、「それはできません」とは言わずに、「私を遣わしてください」(イザヤ6:8)とこの地上に降りて来られたのである。キリストを遣わした神は、私たちをも遣わし、救いのみわざをあらわそうとなさっている。