私にとって生きることはキリスト、死ぬことは益です。
(ピリピ人への手紙 1章 21節)
(使徒の働き 14章より)
パウロとバルナバが第1次伝道旅行でイコニオンを訪れたときのこと、ここでもピシディアのアンティオキアと同じように、大勢の人がキリストを信じるが、ユダヤ人の指導者たちは二人に敵対し、群衆を扇動し二人を石打ちにして殺してしまおうと企てる。それを知った二人は、難を逃れてリカオニアの町およびその付近の地方に行くが、そこで福音宣教を続ける。
宣教には痛みが伴う。人を罪から救うことを決めた父なる神がまず、ひとり子キリストを犠牲として差し出し、キリストも父なる神に見捨てられ、人間の罪をすべて背負って十字架で死なれた。本当の愛には痛みと犠牲が伴う。
いのちを落とすことよりも、福音の前進が途絶えることを恐れた二人。 「私にとって生きることはキリスト、死ぬことは益です」というパウロの告白は、キリストの御霊を宿すすべてのクリスチャンにとっての告白ではないだろうか。