神は、私たちが御怒りを受けるようにではなく、主イエス・キリストによる救いを得るように定めてくださったからです。
(テサロニケ人への手紙第一 5章
9節)
(創世記19章より)
もし10人正しい者がいたらこの町を滅ぼさないと、アブラハムに主にとりつけた約束は空しいものとなった。いよいよソドムの町が滅ぼされることを、旅人として招いた天使たちがロトに語ったのだ。ロトは娘婿たちにも逃げるように迫るが、彼らは冗談だと思い取り合わない。そしてソドムに移り住んでからそれなりの富や地位を手にしていたロトも、それらを惜しむ心からかその町を出ることに躊躇していた。しかし、人間にはいのちにまさるものはない。キリストは私たちにいのちを得させるために、自らのいのちを犠牲にしてくださった。私たちはいのちがけでこのいのちを得ないならば、それはキリストの死を無駄にすることなのである。そして私たちは、さらにいのちを豊かにするために、恵みの高みを目指して歩んでいこう。