主は羊飼いのように、その群れを飼い、
御腕に子羊を引き寄せ、懐に抱き、乳を飲ませる羊を優しく導く。
(イザヤ書 40章 11節)
イエス様が弟子のイスカリオテのユダに裏切られ、ユダヤ人に捕らえられる直前の最後の晩餐において、イエス様は「心が騒いだ」と記されている。弟子であり、この福音書の著者となるヨハネは、この時、イエス様の胸に抱かれるように横になっていたからこそ、イエス様の胸の内を一番に感じ取ることができたのかもしれない。
人類救済のためのいけにえとして父なる神から見放される運命を受け入れようとする心、人々に嘲られ、弟子たちにさえも見放されるという仕打ちも甘んじて受け入れると同時に、そんな彼らを愛し、慈しむ心、そしてご自身の胸にいる弟子に対して抱いている、永遠のいのちを得てほしいという強い願いをヨハネは感じていたであろう。
主は、私たちの心にいつも寄り添ってくださるお方、そして主の胸にもたれかかるヨハネの姿は、主に身を委ねていく信仰者の姿勢だともいえる。イエス様の胸に憩うと同時に、主のみこころを知り、自分の思いよりもそれを優先させていくのが、私たち信仰者のありかたではないだろうか。