教会はキリストのからだであり、すべてのものをすべてのもので満たす方が満ちておられるところです。(エペソ人への手紙1:23)
(コリント人への手紙第一 15章より)
分裂・分派に陥ったコリント教会に対してパウロが書いたコリント人への手紙第一の最後のまとめの部分において、はじめにパウロが宣べ伝えた福音に立ち返るようにと諭している。そしてその福音の中心は、復活のいのちにあずかるということであると説く。
よみがえったキリストを初穂として、キリスト者は必ずよみがえる。アダムにあってすべての人が死と滅びに向かっているように、キリストにあってキリスト者すべてがよみがえりと永遠のいのちにあずかる。そしてこの世の終わりが訪れて、キリストはあらゆる支配と、あらゆる権威、権力を滅ぼし、王国を父である神に渡される。それは「神が、すべてにおいてすべてとなられるため」(15:28)だと、聖書は記している。絶対者なる神のことばは必ず成就する。
その神の審判の時はいつ来るかは誰にもわからない。私たちは、信仰の目を覚ましていなければならないと同時に、神から「奉仕者、また証人に任命」されたパウロのように、救いを知らせるものでありたい。