「だれでも渇いているなら、わたしのもとに来て飲みなさい。わたしを信じる者は、聖書が言っているとおり、その人の心の奥底から、生ける水の川が流れ出るようになります。」(ヨハネの福音書 7章 37〜38節)
(創世記21 章より)
女奴隷ハガルとその子イシュマエルを家から追い出してほしいという妻サラの強い要求によって、アブラハムは仕方なくハガルにパンと水を持たせて二人を送り出した。荒野をさまよう二人は、まもなく食料も水も尽き、死を待つばかりとなる。息子の死を直視できないとハガルは遠くに座って泣いていると、主の使いが現れてハガルに励ましの言葉をかける。ハガルは目が開かれて井戸があることがわかり、イシュマエルに与えた。このことによって、神の預言どおり、イシュマエルはやがて大いなる国民となっていくのである。
神は私たちに目を留め、私たちの嘆きの声を聞かれ、いのちのみことばを語り、霊の目を開かせてくださる。神の哀れみがなくては、私たちは信仰を持ち得ない。ハガルはそこで一人の息子に水を与えたことで彼は命拾いし、彼の子孫が大いなる国民となっていく。
私たち人間は、この世での尽きるからだのため以上に、後の世での新しいからだのためのいのちを備えていおく必要がある。いのちの水を一人に与えるならば、それがやがて多くの人の祝福となっていくであろう。