正しい方が正しくない者たちの身代わりになられたのです。
(ペテロの手紙第一 3章 18節)
イエス様のうちには死罪に当たるような罪はないと認めながらもピラトとヘロデは、群衆の声に負けて彼らの要求通りに、暴動と人殺しのかどで牢に入れられていたバラバを釈放し、その結果イエス様が最も重いといわれる十字架刑に処せられることとなった。
正しい方が正しくない者たちの身代わりになられたという、なんとも理不尽な出来事。しかしそれは、きよい神のひとり子が罪に汚れた人類を贖うために、身代わりに神から呪われ刑罰を受けるという、究極の神の愛があらわされた形であり、命拾いした極悪人バラバは、ただ一方的な神からの恵みによって永遠のいのちをいただく私たち人間をあらわしている。「私たちがまだ罪人であったとき、キリストが私たちのために死なれたことによって、神は私たちに対するご自分の愛を明らかにしておられます」(ローマ人への手紙 5章 8節)とあるように、ここに神の愛がある。
計り知れない神の愛を思いながら、受難週を過ごしていきたい。