「それゆえ、男は父と母を離れ、その妻と結ばれ、ふたりは一体となるのである。」この奥義は偉大です。私は、キリストと教会を指して言っているのです。(エペソ人への手紙 5章 31〜32節)
(創世記24章62-67節より)
イサクの嫁として来てほしいとのアブラハムのしもべの申し出に、リベカは「はい、参ります」と答え、らくだに乗りイサクのもとへとはるばる向かっていく。主のみこころに口を挟む余地はないという敬虔な家族のもとでリベカもその信仰が培われたのであろう。これは、自分の身を通して人類が祝福されるという大任に「おことばどおりこの身になりますように」と応えた乙女マリアの心境と重なる。この身を神にささげることで主のみこころがなるということこそが信仰の人生の成功といえる。
そして一番最初にその身を差し出したのは、神の一人子、イエス・キリストであった。彼は人間の罪を背負って死ぬために、この世に人の姿をとって生まれてきた。
教会とキリストは婚姻関係のように、お互いをささげ、結ばれ、一体となっていく。私たちが神にこの身をささげていくときに、教会がキリストのみからだとして成長していく。