どうか御民を救ってください。あなたのゆずりの民を祝福してください。
(詩篇28篇9節)
(詩篇28篇6-9節より)
ダビデはこの詩篇の冒頭で「主よ私はあなたを呼び求めます。わが岩よどうか私に耳を閉ざさないでください。私に沈黙しないでください。」(1)と祈っているが、6節では「ほむべきかな主。主は私の願いの声を聞かれた」と語る。この2つの節の間に時間的な隔たりはない。祈りには、その答えを確信し、先取りできるという恵みがある。ダビデは祈ったときに、すでにその答えを得たのである。
そしてダビデは主を信じる民を「ゆずりの民」(9)と表現している。主の民は主の財産を相続する権利をもっている。主の豊かさや主が用意してくださっている永遠の住まい以上に、私たちが相続するのは主ご自身なのである。キリストの十字架のあがないのみわざのゆえに、私たちは身に余る光栄をいただけるというこの福音の偉大さには、ただただ驚かされる。