もはや私が生きているのではなく、キリストが私のうちに生きておられるのです。
(ガラテヤ人への手紙2章20節)
パウロは、ガラテヤ人への手紙の初めの2章を費やして、自分は何者なのか、何の権威によってこれらのことばを書き送っていくのかを証ししている。罪人である人間は律法を守ることによって神の前に義と認められることはなく、人の罪を背負って神に呪われ十字架で死に、よみに降り、そこからよみがえったキリストを信じる信仰によってのみ人は救われるという「信仰義認」の教義をはっきりと語る。キリストを信じるということは、古い自分はキリストとともに死に、よみがえったキリストとともに生きるという、キリストと一心同体となること。だからパウロは、もはや自分ではなくてキリストが自分のうちに生きていると語り、「私にとって生きることはキリスト、死ぬことは益です」(ピリピ人への手紙 1章 21節)と、生きるにしても死ぬにしてもキリストにある有益な人生を歩んでいることを力強く証ししている。そのようなパウロを見習ってこの世を歩んでいきたい。