涙とともに種を蒔く者は 喜び叫びながら刈り取る。
(詩篇 126篇 5節)
(使徒の働き20章より)
パウロは第3次宣教旅行の帰途を急いでいたが、宣教開拓したエペソ教会のことを思うとアジアを素通りはできずに、ミレトスにエペソ人教会の指導者たちを呼び集めて、告別説教を語る。
「涙とともに主に仕えてきました」(19)と語るとおり、宣教においては、神に仕えるよろこびとともに苦痛が伴い涙を流すことがある。しかしキリストは、人の涙を見て同情し共に涙を流してくださるお方であり、その涙を拭ってくださるお方であり、「わたしのくびきを負って(マタイの福音書11章29節)」とおっしゃっり、私たちのくびきを軽くしてくださり、傍らをともに歩んでくださるお方。
「益になることは、……余すところなくあなたがたに伝え、また教えてきました」(20)とあるように、キリストにとらえられた者として、まことの益すなわち「天上にあるすべての霊的祝福」(エペソ人への手紙 1章 3節)にあずかりながらこの人生を歩んでいきたい。