あなたがたが白髪になっても、わたしは背負う。
(イザヤ書 46章4節)
「白髪は栄えの冠。それは正義の道に見出される。」(箴言 16章 31節)とあるように、私たちは一生において、どれだけ神を知り、神を恐れて歩んだかが、問われていく。神の前に正しく歩んだ者の人生を神はたたえてくださる。
イザヤは、「胎内にいたときから担がれ、生まれる前から運ばれ」(イザヤ書 46章 3節)、「主は、生まれる前から私を召し、母の胎内にいたときから私の名を呼ばれた」(イザヤ書 49章 1節)と語っている。私たちはこの世に生を受ける前から、神様に見つめられ、名前を呼ばれ、神様の栄光のための器として召されている。そして、たとえ私たちが年老いて思うように神への奉仕ができなくなっても神は背負ってくださる。
「あなたがたが白髪になっても、わたしは背負う。わたしはそうしてきたのだ。わたしは運ぶ。背負って救い出す」イザヤ書 46章 4節とあるように、私たちの一生は生まれる前から神様に背負われ、運ばれていく。死からよみがえったキリストのその御力で私たちを救ってくださる。主に背負われ運ばれていくことで私たちは、神様の素晴らしさ、神様の栄光を現していくのだ。