私たちは知ろう。主を知ることを切に追い求めよう。主は暁のように確かに現れ、大雨のように私たちのところに来られる。地を潤す、後の雨のように。(ホセア書 6章 3節)
(ヨハネの福音書17章より)
イエスは十字架にかかる直前、いわゆる最後の晩餐において弟子たちに最後のメッセージを語り、その場にいる弟子たちのために、そして、どの時代のキリスト者のために、とりなしの祈りをする。
「わたしがいるところに、彼らもわたしとともにいるように」(24)と、キリストは私たちをそのみもとに招いてくださる。そこは主がいるところ、そこは、私たちが主の絶対的な権威に身を任せることができ、主のみわざをみることができ、主の栄光を仰ぐことができるところ。「彼らにあなたの御名を知らせ」(26)と、キリストが私たちの霊の目を開き、主の御名を知るようにしてくださった。
「知れ。主こそ神」(詩篇 100篇 3節)とあるように、主を恐れて生きること、主を知るために歩むことこそが人間の営みであり、主を知ることで私たちは天の御国の素晴らしさを味わうことができる。さらに深く主を知ることを切に追い求めて歩みたい。