私の時は御手の中にあります。私を救い出してください。敵の手から追い迫る者の手から。
(詩篇31篇15節)
(詩篇31篇15〜16節より)
ダビデは、「私をあわれんでください。主よ。私は苦しんでいるのです」(9)と、苦悩の中で心身ともに疲れ果てたことを主の前に告白している。神様はこの世での悩み、悲しみ、苦しみの中にある者の声を聞いてくださり、そして「悲しむ者は幸いです。その人たちは慰められるからです」(マタイの福音書 5章 4節)と私たちを励ましてくださる。「私はそしられました。わけても私の隣人から」(11)という言葉はキリストの受難の預言ともいえる。私たちのすべての苦しみをすでに味わってくださったキリストは、私たちに同情してくださるお方。
神の前に弱さを吐露した後にダビデは、「私の時は御手の中にあります。私を救い出してください」(15)と、人智をはるかに超えた神の御手の中に生かされていること、みわざがなされる神の時があるという悟りを語る。「神のなさることは、すべて時にかなって美しい」(伝道者の書 3章 11節)。
私たち主を信じる者の歩みは、ありのままを神の前にさらけ出し、神様の時にかなったみわざを待ち望み続けることなのである。