やめよ。知れ。わたしこそ神。
(詩篇 46篇 10節)
(創世記 27章1-13節より)
年老いて死期が近づいていることを悟ったイサクは、双子の息子の兄エサウに神の祝福を継がせようと、その儀式のためのご馳走の獲物をしとめて料理するようにと言いつける。二人の話を聞いていた妻のリベカは、弟のヤコブのほうに祝福をつがせようと、エサウになりすまして父親に料理を持っていくようにとヤコブをけしかける。かつてヤコブは兄を騙すようにして、エサウがその権利の価値を侮っていた長子の権利を奪ったこともあり、この兄弟の確執はさらに深まっていく。
この4人は「兄が弟に仕える」という神のことばをどれほど重く受け止めていたのだろうか。人間は思惑どおりに事が運ぶようにいろいろな策略をめぐらすが、しかしそんなものには関係なく絶対的な権威者神は、神のはかりごとを進めていく。信仰によって救われ、永遠のいのちという祝福を得るという、変わることのない神の計らいを感謝しつつ受け止めていきたい。