ですから、信仰は聞くことから始まります。
聞くことは、キリストについてのことばを通して実現するのです。
ローマ人への手紙 10章 17節
(使徒の働き22章 12-16節より)
パウロが、自分を殺そうとしているユダヤ人たちに対し、弁明の機会を得て説教をしている場面。
神の声に聞き従いダマスコのユダの家にいたパウロのもとに、アナニアが尋ねてくる。アナニアも、迫害者のもとに行くことには恐れがあったものの、神の声に聞き従ってパウロのもとを訪れ、パウロの頭に手をおいて祈る。その時、まるでパウロが神の恵みによって霊の目が開かれたことを象徴するかのように、彼の目が見えるようになった。迫害者パウロはこの時から宣教者へと変えられたことは、宣教の歴史に大きな意味を持つ出来事となった。
私たちが霊の目をすませて聖書を読み、自分の計画よりも神の御声(みことば)に聞き従うときに、そこに神の大いなるみわざがあらわされ、私たちは神の栄光をあらわすことができる。