私にとって生きることはキリスト、死ぬことは益です。
(ピリピ人への手紙 1章 21節)
(ヨハネの福音書18章 16-18節より)
イエス様が捕らえられた時、官邸の庭で遠くから成り行きを見守っていたペテロだが、イエスの弟子であることを問われて3度も否定する。イエス様との関わりを認めれば、自分も同じように捕らえられ殺されることを恐れてのことであったが、その時に鳴いた鶏の声を聞き、「鶏が鳴くまでに、あなたは三度わたしを知らないと言います」(ヨハネの福音書 13章 38節)というイエス様のことばを思い出し激しく泣く。
神を知らなかった私たちに、神様のほうからいのちを捨て、関わりを持とうとしてくださった──そこの神の愛が示されている。キリストは自分のいのちそのものだとあかししているパウロは、キリスト同様に迫害を受けたが、それ以上の祝福を受け取っている。
私たちは自分とキリストの関係をどのように告白するだろうか。