さて、私たちには、もろもろの天を通られた、神の子イエスという偉大な大祭司がおられるのですから、信仰の告白を堅く保とうではありませんか。
(ヘブル人への手紙
4章 14節)
(使徒22章3〜-23章5節)
ローマ人の千人隊長は、パウロがなぜユダヤ人たちに訴えられているのか、最高法院の場で明らかにしようとする。「私は今日まで、あくまでも健全な良心にしたがって、神の前に生きてきました」(1)と、キリストを宣教しているのははあくまでも神のみこころであるというパウロの発言に、この騒動の元凶とも言える大祭司であるアナニアは激怒し、彼の口を打ち叩いてでも黙らせようとするが、パウロは「白く塗った壁よ、神があなたを打たれる」(3)と、大祭司という職務にその中身が伴っていないアナニアを痛烈に批判する。
まさか彼が大祭司であろうとは思いもよらなかったと皮肉を言いながらも、パウロの心はまことの大祭司イエス・キリストのことを思っていたのではないだろうか。キリストはそのいのちを捨てて、まことのいけにえを神の前に献げ、人類救済の完全な贖いのわざを成し遂げられた。神と人類との間を取り持つ完全な大祭司キリストが、今も私たちに寄り添い、折にかなった助けを与えてくださることは何と心強いことであろうか。
このまことの大祭司キリストにあって大胆に恵みの御座に近づくことができる私たちは、いつどこにあっても大胆に信仰を告白する者でありたい。