わたしが律法や預言者を廃棄するために来た、と思ってはなりません。廃棄するためではなく成就するために来たのです。
(マタイの福音書 5章 17節)
(ヨハネの福音書19章23-30節より)
十字架にかかったイエス様の衣服を兵士たちはくじ引きにしたが、それは詩篇22篇に預言されていることばの成就となった。イエス様が十字架の上で言った「わが神、わが神、どうして私をお見捨てになったのですか」ということばは、この詩篇の預言が、今まさに成就するという宣言であった。
イエス様は十字架のそばにいた母マリアを弟子のヨハネに託した。「だれでも天におられるわたしの父のみこころを行うなら、その人こそわたしの兄弟、姉妹、母なのです」(マタイの福音書 12章 50節)とイエス様は語られたように、私たちはキリストのからだである教会を立て上げていく霊的な家族として召されている。
息を引き取る間際の「完了した」ということばは、贖いのわざの完成の宣言である。この絶対的な権威を持っていることばの前に、何者も口を挟むことはできない。聖書の成就によって、私たちは、罪から解放され、神の家族を形成するという使命に生きるのである。